英語ことはじめ

語学の「才能」について

3ヶ国語できると言うと、よく「天性の才能がある」と言われます。しかし、個人的には天性の才能があるなんて感じません。

確かに語学において天性の才に恵まれている人もいます。会話をしているだけで話し相手の話し方、アクセント等のクセをすべてコピーできてしまう人もいますが、そんな人はごくまれな存在です。

語学においてこのような「天性の才能」が大きな意味を持ってくるのは、通訳者や翻訳者等の語学のプロと言われる人たちの中でも、一流と呼ばれるレベルにある人ぐらいなものです。

現実には、語学の達人と呼ばれる人達のほとんどは不断の努力によって語学力を獲得しています。

私に言わせれば、「天性の才能」などという言葉は、努力を放棄した人が自分を慰めるために使う言葉としか思いません。本当に真剣になれば、誰だって「才能がある」と言われるだけの語学力を身につけることができます。

ただし、「天性の才能」から「天性」を取った場合、つまり後天的な部分での「才能」は確かに存在します。この「才能」とは、他でもない「言語能力」のことです。

言語力が命

英語だろうが、中国語だろうが、はたまた日本語であろうが、いずれも言語には変わりはありません。

この言語能力は外国語習得の上で非常に大きな影響を及ぼします。言語能力の高い人は、外国語習得の速度も速く、また、高い運用能力を身につけることができますが、言語能力が低い人は習得速度が遅い上に、ある一定の所まで達すると、ほとんど進歩しなくなります。

では、この「言語能力」はどのようにして伸ばすのでしょうか。このWebサイトを閲覧されるような方は大半が成人だと思いますので厳しく聞こえるかもしれませんが、あえて言いますと、成人してから言語能力を伸ばすことは大変困難です。言語能力の修養は、子供のときに母語教育を通して行われる必要があるからです。

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留学中の「発見」

私が母語能力の大切さに気づいたのは、中国に語学留学をしていた時です。

語学留学だったので回りは留学生ばかりでした。私が留学した学校は日本からの留学生が多く、日本人留学生の中国語を聞く機会が多かったのですが、そのためもあってか、母語と外国語との関係について面白い発見をしました。

一般的に中国在住期間が長いほど中国語の会話力は高くなりますが、中国語のレベルが高い人ほど、日本語で会話する場合に出る癖が中国語での会話中にそのまま出ていました。

また、日本語で表現力の豊かな人は中国語の表現力も豊かになる一方で、日本語の表現に問題があるような人は中国語でもいまいち的がはずれた表現しかできていませんでした。

私が近日まことしやかに語られる「英語公用化論」を憂いているのはこのためです。英語の公用化は国語力の低下、すなわち言語能力の低下に直結します。

結果として英語も日本語も中途半端な国民を大量生産してしまう可能性があるのです。

読書のすすめ

一定の年齢を過ぎてから習得した第二外国語は、絶対に母語を超えることができないと言われています。母語のレベルが低ければ、第二外国語の習得にも悪影響を及ぼします。

ではこの言語能力を育成するにはどうすればよいのでしょうか。

先に言語能力の修養は子供のときに母語教育を通して行われる必要があると述べました、言語能力を育成するのに最も有効なものは読書です。特に青少年期の読書は一生の財産になると言っていいでしょう。

また、青少年期ほど顕著な効果はないかもしれませんが、成人後でも活字に親しむことで言語能力を磨くことは可能だと思います。

いずれにせよ、本物の英語を身につけたいということでしたら、母語である日本語を大切にされることをおすすめします。