英語ことはじめ

ペラペラ

日本では英語ができることをよく「ペラペラ」という表現で形容します。これに形容される言葉は通常「話す」です。「ペラペラ書く」という表現は明らかに不自然です。この「ペラペラ」という表現に、日本人のゆがんだ英語認識が如実に表れています。

日本人の英語力は、文法偏重の学校英語教育のため極めてバランスが悪くなっています。授業では文法と翻訳読解ばかりするので、高校卒業時には文章はそこそこ読めますし、不自然な英語ではありますが、英作文も可能です。

その一方で「聞く」ことと「話す」ことはほとんどしないので、ほぼ一様に話すことができません。

そこで英会話ができることに対して憧れを抱くようになります。ここから、日本人の意識の中では、「話せる」=「使える」という図式が成立するようになります。このため英語が「使える」人は「ペラペラ」と表現されるようになります。

この発想から、多くの人が英語の習得について致命的な誤解をしてしまいます。それは「話せる」ことが「英語ができる」ことだというものです。

「使える(できる)、使えない(できない)」は話す以外にもある

英語が「話せる」ということは、「英語ができる」ことの一部でしかありません。

まず「話す」以外の「聞く・読む・書く」にも、それぞれ「使える(できる)・使えない(できない)」があります。話せる人が読み書きもできるとは限りません。

また、この「使える(できる)、使えない(できない)」の基準が適用できる分野は、「聞く・話す・読む・書く」の4分野に止まりません。

「通訳」「翻訳」「ディベート」「プレゼンテーション」等々、多岐の分野にわたって「使える(できる)・使えない(できない)」の基準が適用されます。

例えば、電気機器分野の通訳ができたとしても、医療分野の通訳ができるとは限りません。

もちろん、これらの全てをできるようにする必要は毛頭ありません。この中から自分に必要になるもののみ選択して身につければよいのです。

会話するのに必要となるもの

では、話せるようになりたいから、会話スクール等に通って話す練習だけすればよいのかというと、残念ながら必ずしもそうとは限りません。

「話す」ことができるようになるには、まず「聞ける」ようになることが大前提になります。たとえ話せるようになっても、相手からの返答がわからなければ会話は成り立たないからです。

独り言ならいいのですが、会話はあくまでも会話相手とのキャッチボールです。簡単な表現すら聞き取れない話し相手から、何度も「ゆっくり話してくれ」とか「もう一回言ってくれ」と言われ続けたら、誰でも話す気など失ってしまいます。

では、この「話す」と「聞く」力を身につけるには、何が必要になってくるでしょうか?

まず英語を「発音」できる力が必要になります。自分が発音できない音は聞き取れません。聞き取れなければ会話が成り立ちません。

次に必要になるのは語彙力です。たとえ発音が聞き取れるようになっても、それが何を意味しているかわからなければ理解ができません。また、自分の伝えたいことを表す単語を知らなければ、話すことができません。

加えて、聞いたことを正確に理解し、相手に自分の言いたいことを正確に伝えるためには文法力が必要になります。

道を尋ねるぐらいでしたら文法力がなくても問題ありませんが、まともな会話をしたいのなら文法力は必須です。

さらに、より優れた、場にふさわしい表現をするには、修辞法を身につける必要があります。

また、これら語彙力や文法力を身につけるには、話す訓練や聞く訓練だけでは不十分です。語彙力や文法力を高めるには、「読み」「書き」を交えたほうがより効果的になります。

また、会話に参加するには、話題になっている内容に関する知識が必要になります。

例えば、南北格差について語り合っている会話へ参加したい場合、南北格差についての知識が必須となります。話題となっていることに関する知識がないと、どれだけ語学力があっても発言はできなくなります。

このように、ただ単に「話せるようになりたい」だけであっても、さまざまな方面の能力を高める必要があります。

これをしないと、いくらスクールに通ったり、語学留学してみたりしたところで、たいした会話力は身につきません。

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